昭和48年 6月10日 特別奉修委員   入力者【明渡徳子】

東風会で、朝の御理解を基にして、朝の御理解をみなさんが一応頂かれて、そしてそこからいろいろ、分からないところの質問やら、またはそれをもっともっと深めて頂かせてもらうという信心の共励をさせて頂いたんですけれども。結局あたくしどもが、あの数年以前に合楽で、椛目合楽を通して、合楽の合い言葉だと言われる、ておった「限りなく美しゅうなろう」ということはね、もう限りなく美しゅうなるということになったら、もう問題は、もうその場で解消すると言う事ですね。もうどんなさすれば難しい問題であろうがね、もう、もうほんとに美しゅうなったら、もうその場で解決される。美しくない者が、問題が問題をこじらかしたり、問題を作っていくのですね。そこで、なら美しゅうなるために、本気で一つ垢を落とさなきゃいけない。昨日、あたくし熊谷さんから聞かせて頂いたんですけれども、今度ミス日本の、あ、吉井の方だそうですね。それがあのその直子たちのあの学校友達だそうです。それもうそれはもうそれはちょっともう執念と言うかもう絶対自分が日本一になるっち言いよっちゃった。そしてもうあのもうずーっと鏡ばもうもう持ち通しじゃったそうです。もういつんもこの鏡もっちゃった。そしてもうそれはもうキレイになることに、女学校時代から、そげん大して美しか人じゃないそうです。熊谷さんの話聞いたら。けれどもやっぱそれだけの執念がです、念と言うか思いというものがね、世界で3番目だそうですね。えー、日本一のやはり美人として今度、ちょうど2、3日、昨日一昨日かなんかなんかパレードかなんかがあって、おったのを見せて頂いて、そしてからもうこの人のそのどこがよかじゃろうかと思うたら、もうこの人の笑顔が素晴らしかったと言うて、まあ久保山さんが言うておられます。もちろんこれは作った笑顔だろうと思うですよね、本当は。もうそげなことでんもうずーっと鏡見てニコッと笑う具合やらば、やっぱ研究してなさるわけです。いやそうじゃろうと思うです、ね。それですからね、ならそのためには例えば言うならこうね、そのいつも鏡を持っとかにゃならんということですよ。いつも教えを、教えの鏡というものを持っとかにゃならんと。
そしたら破れたらもうすぐ、ありゃ妙なもんで汚れるとですね、もう汚れ継いでということがありますよ。ほんなこて。もう悪かこつしよったら悪かこつ継いでですね、もう根性の悪い人がますます根性悪なるのはもうそれです。こげなこと言う、こげなこと言うちゃいかんっちゃ思うたっちゃです。
もう根性の悪かつが根性の悪かついでに根性悪いこと言うてのかしてしまうわけです。それけん、キレイになることに本気で努めておられるですね。もうちょっとでん汚れたらもう、もうどんこんじっとしておられんと。それとらな。ね、ですから、もう汚れた上から磨いたっちゃ垢光りになるこっちゃけん、ね。それでどうでもやはりまず改まる。まず、垢を落とさにゃいかん。そしてその上に磨きをかけにゃならない。本心の玉を磨くのなら、日々の改まりが第一。そして、磨いた上に磨いていって、その上にお化粧をするもんじゃけんキレイなはずですよ。ね、ということが、結局、ゆうげ、久しぶりにはその限りなく美しゅうなるということ、そのミス日本の話しからでしたけれども、まあ、あのーおかげを頂いたわけですけれども。んー、ほんとにね、あのー、もう問題は絶対自分の心の汚い心が問題になっておるということ。これはもう絶対。ですからね、もう限りなく美しゅうなることだと思いますけれども。
2、3日前に、えー、山本の何とかさんと言う人が、そのー、見えてからお酒を2升持って見えた。そして、先日からご相談しとりましたけんで、あのーあそこのー、西、何て言うんですかね。さんごじゅ?ね、さんごじゅのほうをくれと言うて見えたそうです。もうあれはもう今そのよっぽど、あのー、何か値打ちがあるそうです。そしてあれが少ないんだそうです。それでもうみんなが植木屋さん達が目を付けてるんだそうです。なんかこの頃からも何人でん見えたそうですけども、あたしは知らなかったんです、そげなこと。ところがあのー、お神酒を2升持って見えたそうですけん、まあ何か20日過ぎかなんかにもらいにくるけんでどうぞよろしくちゅってから、まあ手付をうって来て下さったわけですよ、向こうとしては。全然知らないです。また私も返事した覚えもないしですね。ところがその翌日あの荷物が来てから、あの宮崎さんが、椛目の宮崎さんが、いつも毎年あの人が持って行きよんなさりましたもん。もう積んでから、だけんもういらんもん持って行くごとして、持っていきよりなったけんで、あのー、そげんこっちは、あーその、そげんあの値打ちのあるもん知らんもんですからね。
ところが、今度はむぎお?の方の私の方の母の里の方からもらいに来ましたから、そん時にはそちらにあげました。ばってん今度は何人からもそのもらい売りがあっておったそうで、こっちは知らんもんですから、また、知らんもんですから、あの末永さんじゃない、高橋さんがそのお神酒を2升受け取られて。あのーだから、そーりゃあんた、あのいもとの話じゃ宮崎さんがちゃんと待ってしよりなさることじゃから、それは困ったのと言うて話しよりますからね。そんならあの山本から見える方には半分あげなさいっち。してもうこれ?宮崎さんにはまた半分のあげなさい。そしてもう来年からはもうあなたが頂くことにしときなさいと言うといてくれと。そしてもう家もどっかもらいきなさるごてあげんごつするから、あのー、ご信者さんの中に欲しそうにしておる人があるならそれあげたがたがいいからと言うて、あたし言うておりましたんですよ。
そしてあのー、山本の方からもらいに見えたら、あのーお神酒は2本ながら返しなさいとあたしは申しました。半分やんなさんなら、あと1本でももろたっちゃよかでしょうもん」ちゅうばってん、ああ、もうそげなこといらん。もうみんな返さにゃいかん。そげなことお神酒1本2本もろうてから、そげなこっちゃ向こうもね、そしてその納得いかん。あのー、せっかく自分がてすくった?と思うて、あのー、もらいにきとるなさっとじゃから。もうそげなこつ信者さんに、言うなら肩替わりなけんで、えーあのー、悪いけれども半分持ってってください。あと半分はこっちにお三方にあげるから。それで、あの、こうお神酒やらはもういりませんけんどうぞそれこそただで持ってって下さいと言やあ、それは文句言うということもなか。だーれも言うならあげとるちゅうことないことないですもん実際は。けども何かこのごろ、十三日会の時に2、3人植木屋さん達が見え来てから、こればもろうていうばってんか何かっち言いなさっとやけん、ちょっとそれは秋永先生か誰かがですね、「はあ、ええですよ」か何か言うとるかもしれませんたい。あのーあそこらへんで御用しよった人がですよ。だからそれは知りませんけれども、まあそれにしてもです、なら半分はおごるけん、なら一升はもろとってよかろうという生き方じゃ絶対問題は解決せんです。もうほんとです。うん。それは「はあそうですか」っち帰りなさったっちゃ何か残るです。けれどもですね、「あの、これはもうどうぞお持ち帰りください。そして半分だけ、こんなわけですから半分だけ取って行ってください。半分のはこっちでしゃっちまたいる方があるげなけんで」と言うなら、もう絶対、どっちでもですね、それで納得いくと思うんですよ。あたしは限りなく美しゅうなるとはそういうことだと思うんですね。
今日、熊谷さんがお届けをされますのに、2、3年前にある方からお金を貸してくれとこう言われた。お届けをさせて頂いてと言うてお届けさせて頂いたら、親先生が、あのーおー、「それこそ自分のお金じゃないからね、神様のお金じゃから、あのー、神様の金をその方に貸してあげると言われじゃるけれども、もらおうとっと思いなさんな。貸すならその腹でなからなければ貸されんよ」と言う、言われたからもうそれっきり思い出しもせんぐらいにおかげいただいとるが、最近あれ以来、あの時分からお金の不自由をしないことに改めて気がついたと言うておられます。もう、昨日も、あのー、お金が段々少なくなったなと思いよったら、思いもかけないところからまとまったお金を送って来たとかね。ほんとにあれ以来ですよと言うて、先ほどお届けされるんですよ。ですからね、あのー、美しゅうなるということは、もうそういうおかげが伴うておることと同時にです。あの問題が解決するです。もう何か汚い根性、汚い心、惜しい欲しいの心。自分が分が悪いの分が悪くないのと、それが必ず問題のもとになっておるです。だから、限りなく美しゅうなるということは、そのような功徳があるということ、ね。ですから言うなら例えばですね、なら今言いよるその御神酒のほんなこって半分半分じゃけん一本ならもろうてよかろうと言うこれがもういよいよ汚い心ですよ、ね。いやあもうそげなもんじゃなか。もうとにかくと言うてね、そのかやす気になってご覧なさい。そこに問題はもうそこの場で解決するです。うん、一つもう本気でね、美しゅうならせて頂くと言うことが、どういうことかと言うと一切が神様の御物だという自覚ができなければ、そういう心は生まれてこないです。自分のもんで ? あるごとと言う、これが金光教の信心のいた、分かったという根本です、これは。根本を分かったちゅうのは、ここが分からなければおかげ頂かれんのです、ね。我情我欲を外れなきゃいけんと仰るが、なら今日はあたくしは限りなく美しゅうなるということ。美しゅうなりゃ問題がもうその場で解決すること、ね。
先日、それもあのー、もうお一人ですからお風呂入られました熊谷さんのお話。で、今日はもうちょっとお風呂に行こうと思って行ったら、だーれもはいっとらん。1人ではいっとったら、あのやっぱり同年輩ぐらいの御婦人の方が、全然見知らん方が入って見えた。そして「あなたはもうとても長生きなさるですよ」っち言いなさるげな。「なぜですか」ちゅうたら、もう肥えすぎもしとんなさらん。痩せすぎもしとんなさらん。その体が健康そのものだということです、ね。そしてもう73にもなるということで、びっくりまあしなさったということですが、もう私はこげん体が弱ってこげんしとるともこげな訳です。と言うてもう、家庭的な悩みを芯、初めての人です、芯から話なさる。私はね、今日の御理解じゃないけども、何事にも信心になれよと言うことは、誰が見ても信心だなあっとあの分かるような私になれと言うことですから、そこにはね、例えばもう風から違いなさるですなちゅうものができないかんです。あなたそう、違うと思いよったら、もう体がとても長生きなさるですよっちゅう健康のおかげを頂いてあるから目がついたんです、改めて。そしてあたしは、年配はこんくらいじゃけれども、こげな風でこげな風で悩みでこうと言うて話されるから、まあお風呂場で芯からまあいろいろとお話しさせて頂いたと、ね。そしたら、明くる日かまた明くる日かその、あ、昨日その方がまたわざわざ尋ねて見えたそうです。そしてまあその方はね、どっか甲羅さんのしたにおられるけども、そういうい年配で、夫婦別れしてもう離縁状まで、あの、離縁の手続きまでとってから、親戚の方に帰って来ておられる方じゃったそうです。ところがもう熊谷さんの話を聞きよったら、もうほんとに主人があん奴がちゅう気持ちがとれてしもうてですね。もう私が悪かったと思うたから、帰って早速もう縁が切れとる主人に電話かけたって。そして「もうほんとにすまじゃった。長年ほんとにすまじゃった。もう私が悪かった」ということで、芯からお詫びされたらもう電話の向こうで主人、元の主人が大変喜ばれたちゅうて。そしてほんとに一日でもはよう帰って来てくれと言う電話じゃったそうです。だから、あの近い内に帰らせて頂きますけんと言うて、お礼に見えたんだそうです。ね、そういうあたくしがおかげを頂いておるということは言わんでも発揮できる、発散できる・・・(途中切れ)